『仮面ライダー1号』感想 「仮面ライダー」という英雄の座

 ネタバレ有り。

 

 『仮面ライダー1号』、ひとまず見た感想を残しておけねばならないなぁと思わされたので書き記すことにします。とりあえずドバーって書きます。

 

仮面ライダー1号』では1号ライダー――本郷猛を藤岡弘、氏が演じています。話題性のあるキャスティングですが、この映画においてこれが最も効果的に映ったのは、映画中盤で「藤岡弘、氏が演じる本郷猛」が一度死んだところにあるのだと思いました。

 

平成2期からの変身アイテムはメモリ(W)、メダル(オーズ)、スイッチ(フォーゼ)、指輪(ウィザード)、果実(鎧武)、ミニカー(ドライブ)、そして現在進行形のゴーストではアイコンとなっていますが、これらのアイテムは玩具展開の際に、過去ライダーの意匠を込められるモノとして展開されています。玩具展開の中だけに留まらず、映像媒体としても自覚的に行われており、私の記憶している中では、『MEGAMAX』でのメダルとスイッチを用いた昭和ライダーの召喚、『アルティメイタム』での指輪を用いた2期序盤ライダーの召喚、『ウィザード』特別篇でのアマダムの召喚、『平成対昭和』での平成ライダーロックシード、昭和ライダーロックシード等がそれに当たると思います。こうした変身アイテムに過去ライダーの魂を刻み込む手法は平成2期では既に当然のことになっています。(平成2期からと書きましたがこれの大本は当然『ディケイド』なのは言うまでも無し、でしょう)

 

この手法は『ゴースト』、そして今回の映画でも使われています。この映画の前日譚であるyoutubeに公開されている『伝説!ライダーの魂!』での平成2期のライダーのアイコンで実践されており、それは映画でのフォームチェンジラッシュの際にも用いられ、活躍しています。ゴースト、スペクターは全6編のストーリーの中で、仮面ライダーの心を学び、魂を受け継ぐことになりますが、そこに現れる過去ライダーは確かに仮面ライダーWであったり、仮面ライダードライブではありますが、けして左翔太朗(+フィリップ)ではないし、泊進之介でもありません。ゴースト本編に出てくる英雄のアイコンのように、パーカーのような形として出てきたそれらはただ力を与えるのみです。ライダーの魂を教え、受け継がせるのはゴースト、スペクター両名の自発的な覚醒、そして間接的に導くのは過去ライダーのオリジナルと繋がりのある、オリジナルキャストの敵怪人です。

 

 メモリtoアイコンに宿っている魂はけしてオリジナルキャストのものとは明示されません。あくまでも「仮面ライダー~」の魂を受け継いだのみとされます。玩具として販売されるレジェンドライダーゴーストアイコンの説明にも「仮面ライダー~の魂が宿るゴーストアイコン」とされるのみであり、変身前の人間に言及はされません。

 

 前置きのようなものが長く、くどくなってしまいました。つまるところ、ゴーストが、そして他の仮面ライダーがこれまでしてきた過去ライダーの魂の引き継ぎ、力の利用は変身後の『仮面ライダー~』によって作用しています。

 

 しかし今回の映画でゴーストたちが対面するのは仮面ライダー1号――本郷猛です。仮面の下の生身の人間とゴーストたちは関わることになります。生身のオリジナルキャスト――それも今回は45年ぶりに初代仮面ライダーを演じる藤岡弘、氏という特殊な起用の際、発生した事態は45年前の本郷猛と今現在の藤岡弘、氏が演じる本郷猛の違いです。年月が経ったことで生じる姿や考え方の変化という問題に対して、藤岡弘、氏自身が語るように、演じないことで乗り越えようとしました。つまり現在の藤岡弘、氏に本郷猛を合わせることにして、藤岡弘、氏の45年間の様々な活動を劇中において、本郷猛の海外での戦いという形で表しているのです。1号のスーツがネオ1号(仮)になったのも、現在の藤岡弘、氏に合わせてのものであって、そうすることでこの映画において藤岡弘、≒本郷猛の関係性が成り立つことになったのです。

 

 しかし、演者と役の融合は埋められた45年の隙間を乗り越えるだけでなく、演者の現在もそのまま取り込むことになります。つまり、70歳というアクションを行えるのが不思議なくらいの年齢になられた藤岡弘、氏の老いが本郷猛に反映されることになります。この部分に劇中での本郷猛の激戦を経ての限界が重なることにより、人間がヒーローを演じ続ける限界の臨界点が劇中に現れます。人間が永遠にヒーローを演じ続けることはできません。それこそ本当に改造手術を受けるしかなくなってしまいます。この映画において、本郷猛は人間として一度死ぬことになります。

 

本郷猛の時間による死は老い(=激戦の果て)以外の形でも表れています。教育実習生として高校に潜入したタケル達によって本郷猛(ほぼ藤岡弘、氏)が高校生の前で生命について語り始める場面がありますが、聞き手である高校生はひそひそ話をするばかりで話を一向に聞こうとしません。本郷猛の語る言葉もまた、45年という時間を経ることで力を失っているのです。本郷猛の言葉に耳を傾けるのは同じ仮面ライダーであるタケル達だけです。

 

そんな中、劇中で本郷猛は敵の攻撃を受けて、命を落としてしまいます。本郷猛は当初、今回のヒロインである立花マユのためだけに動きます。ノバショッカーとの戦いにおいてもマユが関わったときのみ戦います。マコト(仮面ライダースペクター)からすれば「腑抜けた」というそのスタイルはヒーローとしてのものでなく、一人の人間としての生き方と言えるでしょう。今回の戦いにおいて、タケルは自らショッカーの内乱に介入していきますが、それはタケルがヒーローの体現だからであり、当初の本郷猛とは対称的な存在として描かれています。

 

ゴースト勢が人々に襲いかかるノバショッカーと戦う中、立花マユは本郷猛が火葬される前で泣き叫びます。その時、不思議なことが起こり、本郷猛が復活します。しかしそれは、マユが自ら述べるように、マユのためだけの再生ではありません。

 

本郷猛≒藤岡弘、の力業とも言えるシンクロについては述べましたが、仮面ライダー1号藤岡弘、氏の関係については述べていませんでした。仮面ライダー1号は生身の人間でなくスーツであるという手前、永遠の存在です。中にスーツアクターの方が入ることでいつまでも生き続け、戦い続けることができます。そしてそのような永遠の存在としての扱われ方は前述したレジェンドライダーのくだりの通りです。仮面ライダー1号は「仮面ライダー」という概念として何度でも生き返ることができます(ディケイドの大ショッカー映画でも同様のことが起こりました)。事実、本郷猛が復活する際も、ベルトが開き、ネオ1号の姿で立ち上がります。そして「仮面ライダー」として蘇った以上、人間の自由と平和のために戦わなければなりません。この映画は人間「本郷猛」を殺し、英雄「仮面ライダー1号」を復活させることで、肉体を持った存在が仮面ライダーに変身する限界を示したのです。タケルの「本郷猛は俺にとって永遠の英雄」という言葉はある意味ひとつの呪いとして本郷猛を英雄の座に持ち上げることになります。一度死に、そして蘇るという儀式を経て、本郷猛は肉体を保ちながらなお、超然的な存在として祭り上げられることになったのです。

 

本郷猛は戦いの決着後、「体を労れ」という台詞を地獄大使に投げかけ、戦いの誘いに乗ることなくその場を去ります。様々な解釈が出来そうな場面ですが、超越的な存在になってしまった本郷猛は肉体の限界を知っています。地獄大使がいかにして蘇ったのかについて劇中では詳しく説明されていませんでしたが、最後を見るに不完全な復活だったのでしょう。それは死ぬ以前の身体に苦しむ本郷猛の姿に重なります。

また、「仮面ライダー」として本郷猛は本来悪である地獄大使を倒さねばならなかったはずです。それをしなかったのは「本郷猛」の意志でしょう。それは「仮面ライダー」を受け入れた本郷猛のささやかな反逆であり、悪を倒すしかなかった本郷猛の今の時代に乗った新しいアプローチと言えます。

 

 「体を労われ」というセリフは地獄大使だけに当てはまるわけではありません。タケルが生命の大切さを、他の人間との繋がりのなかにあることに気づいたのは本郷達と背中を合わせて戦っていた時です。体を持つもの=今を生きるものへ向けたメッセージともとらえられるかもしれません。