最近ハルヒ消失を再見した。

 最近大学でハルヒ(主に消失)を取り扱う機会があって、発表みたいなことをした。定義付けや根拠が足りなかったり、客観性がないなど叩かれもしたけれど概ね好評だったことは非常にありがたかった。

 

 扱ったものは原作なのだが、劇場版も見ることにした。久しぶりに劇場版消失を見てみると序盤の段階でキャラがすごく可愛く見えた。思い出が美化されることはよく起こると思うけど、その逆が起こったことはとても新鮮な出来事だった。アニメはここ最近最新作ばかり追っていたけれど、久しぶりに旧作を見るのも悪くないなと感じることができた。

 消失の凄いところは原作のページ数があれだけ薄くて、それでも中身がたくさんあるところだろう。情報量がたくさんあって論じようと思えばいくらでも論じられそうだということを作成中に感じていた。劇場版に関しても、2時間40分あることに気づいたときは随分ぶったまげてしまった。終始緊張感があって圧倒されてばかりだった。

 残念だったのは朝倉を扱いきれなかったことか。情報量が多いので自分の力ではそこまで論を広げ、まとめるにまでは至らなかった。いずれは朝倉に関しても考察を深めていきたい。

 結果的にハルヒにある作品の力を久しぶり感じられた。問答無用で圧倒された。あの頃は良かった、なんて言えないけどやっぱりこのくらいの時期の作品には力があったんだということを再確認した。

 

 そういえばハルヒで思い出したことだが、長門有希ちゃんの消失を10話まで見終えたけれどようやく、少し、面白くなってきた。長門はやはりクールであってほしい。あのころに近い長門が見れて少し、視聴意欲が上がった。ちょうど過去作キャラが出てこなくなってビミョーになっていたなのはvividとは対照的のように感じられた。なのはは二期には過去キャラをたくさん出番を増やしてくれー。